Novel(百物語)
02ten

息子のお賽銭

次男が小学一年生になり、夏休みが過ぎたころだったでしょうか。
幼稚園よりも前から通っているサッカーに、ひとりで行けると言い始めました。
これまでは、行き帰り、私と一緒でした。
友達と待ち合わせして行くから、大丈夫だというのです。
小学生になったのだなあと、母親の私は嬉しくなりました。

もともと、サッカーをさせたくて入れたわけではありません。
やんちゃな三歳児をへとへとにさせてくれる場所を、息子の遊び友達のお母さんと探し回った結果です。
警察の剣道場でも柔道場でも、あるいは空手道場でも、どこでもよかったのです。
残念ながら、そのどれも、もうすこし年齢が高くなってからでないと受け入れてもらえませんでした。
一日自由に遊びまわってもまだ元気で、そのうえいたずらをしでかし、私たち母親は近所に謝って回る毎日でした。
子どもの元気さに降参し始めた母親たちは、どこでもいいからと、サッカー教室に入れたのでした。

練習場までは、子どもの足で三十分くらいかかります。
サッカーが始まるのは三時半です。
息子は、友達と連れ立って、一時間前には家を出ます。
サッカーボールを詰め込んだリュックを背負って。
まっすぐサッカー練習場まで行くのではなく、あの路地、こちらの横道と寄り道しているようでした。
楽しいんだろうな、と私は思いました。
幼稚園の頃は、私と手をつないで出かけた息子が、ずいぶん大きくなったものです。

そのうち、彼らの行動が少し見えるようになりました。
「お賽銭、あげてるんだ」
そんなことを、何かの拍子に次男は口にします。
「へええ」
私は感心しました。
息子たちは、財布は持っていきません。
飲み水は、水筒に入れていきます。
水がなくなったら、練習場の水道の水を足しています。
おやつは飴を持っていくこともありましたが、いつもではありません。
友達の誰かが、小遣いを持ってくるようになったのかなと私は想像しました。
しかし、それ以上息子に聞き出すことはしませんでした。
小学一年生の男の子に色々聞いてみても、大したことはわからないものです。
夕ご飯を食べているとき、ふと思い出し、お賽銭のことを口にしただけです。
聞くだけ野暮、さすがに三番目の子どもを相手にすると、母親も勘は働きます。

「おかあさん、恥ずかしい」
長女がある日、私にご注進してきました。
次男と仲間たちが、自動販売機の釣銭口に手をつっこんでいるところを見たというのです。
それも、あちこちで。
長女が弟をとっちめると、
「お釣りが残っている時があるんだから、調べるのが何が悪いって言うんだよ」
長女はうんざりした顔をして、私に言いつけました。
私は、次男に訊ねてみました。
自動販売機でお釣りを忘れるような、そんなうっかりした人がいるのだろうかと。
「おかあさん、それがいるんだよ」
次男は、にこにこして言いました。
釣銭口よりも、もっと確率が高いのは、自動販売機の下だそうです。
たしかに、ころころと転がったお釣りをあきらめる人は多そうです。
子どもはしゃがんで探すのも、大人ほど苦痛ではありません。
細くて小さな子どもの腕は、大人ならあきらめそうな場所にも届きそうです。
ところが難問がありました。
腕が短すぎるのです。
「見えているのに、届かないことが多いんだ」
息子は、悩みを打ち明けました。
お金が見えているのに取れないとは、たしかに悔しいに違いありません。
彼らが考えついたのは、自動販売機の下に傘を突っ込み、埃ごとお金を回収するやり方でした。
これで、お金の回収はうまくいくようになりましいる時があるんだから、調べるのが何が悪いって言うんだよ」
しかし、しばしば傘を壊し、母親から問い詰められた友達もいたようです。
私の息子は、これまで一度も傘を壊してはいません。
それは、決して喜ぶべきことではありません。
「お前の傘でやれよ」
と言っているのかもしれないと、私は冷や汗がでました。
「けんかの時、石を投げているのはうちの子だけど、石を渡しているのはおたくだから」
と遊び友達のおかあさんから言われたこともある子です。
子どもの話を聞いて、楽しい、ほほえましい、そんな気持ちだけに終わらないのが、その頃の我が家でした。

それにしても、見つけたお金でお賽銭とは、驚きました。
一年坊主たちの頭の中は、大人にはなかなかわかりません。
お賽銭をどこに、と私はサッカー練習場までの道のりを頭の中で辿っていました。
「おかあさんね、駐車場もお金が落ちているんだよ。だから、そこも一応、見て回っているんだ」
次男は、まだ私に話しかけてきています。
はっと我に返り、そこは危ないからやめなさいと私は注意しました。
子どもは親がぼんやりしているときに限って、大切なことを口にします。
背の低い子どもたちがうろうろしていても、駐車場に入ってくる車の運転手は気付かないはずです。
ましてや、バックの時など、もっと危険です。
駐車場には勝手に入らないという約束をとりつけたものの、かえって、自動販売機は親公認になってしまった感がありました。
失敗、失敗と思いながら、私はまた家事に戻ります。
また長女が文句を言いそうです。

翌日、ひとりの昼食のとき、私は思わず声を出しました。
お賽銭をあげているに違いない場所を、思い出したからでした。
私たちが住んでいる町は、水路が東西を走っています。
江戸時代は塩を運んだ船が通る、風情のある町だったようですが、今はただ、川が縦横に流れているだけです。
小さな橋は、今でもたくさんあります。
橋のたもとに、小さな祠があるのを私は思い出しました。
お地蔵さんがあり、たしか赤いよだれかけをつけていました。
こぎれいな千羽鶴がお地蔵さんにかかっているのを、私は自転車を押しながら見たことがあります。
橋のたもとはかなり急傾斜でした。
私は脚力が弱いせいで、自転車を降り、押していたからです。

私はお地蔵さんを見に行きました。
サッカーの試合に勝ちますようにと、お賽銭を渡しているのだと、次男は私に言いました。
お菓子だとあんまり効き目がないんだと、付け加えたことを私は思い出しました。
自動販売機で小銭を見つけられなかったときは、飴を置いて行くのかもしれません。
もしかしたら、自分の飴は口に入れ、友達のだれかの飴を強制的に置かせているのかもしれません。
私は自転車を橋のたもとに止め、お地蔵さんに向かいました。
誰かが手入れをしているのでしょう。
お地蔵さんの祠は、相変わらずきれいです。
今日も千羽鶴がかかっていました。
きっと息子たちはそれを見て、子どもながらに何かをお供えしたく思ったのでしょう。
なんだか子どもたちが寄ってきそうな、かわいらしいお地蔵さんでした。

その祠は、東京大空襲の死者のために作られたものでした。
このあたりは、すべて焼け落ちたところです。
この橋の下を流れる川にも、多くの死体が折り重なるようにあったはずです。
私は仕事先で、棟梁の娘さんだったおばあさんに話を聞いたことがありました。
大空襲の二日前に、彼女だけ、千葉の知り合いの家に疎開しました。
両国の駅で、体の大きな父親が手を振ってくれました。
母親とは、家の前で別れました。
家はもちろんのこと、両親の行方は今もわからないと彼女は話してくれました。
彼女が私に貸してくれたのは、一枚の掛け袱紗でした。
四隅に房が付いている、立派な袱紗です。
鶴と亀が刺繍されています。
七五三の折り、棟梁の家にはお祝いを述べに来る人がたくさんいたといいます。
数えで七つの子どもが、父親と並び、きちんと挨拶をしました。
「ただお辞儀をするだけでなく、父親に教え込まれた挨拶を述べるのです。
本当に緊張したけれど、今でも憶えているくらい嬉しかったですよ」
彼女は私にそう言いました。
赤飯や菓子の載った皿の上にその袱紗を掛け、彼女はお祝いのお返しに行ったものでした。
朱の色は少し褪せて、私が借りた袱紗は鴇色でした。
父親のよすがとなるものは、その鶴亀の袱紗だけでした。
彼女の家は、たしか、お地蔵さんの近くです。

何も知らない子どもたちが、お地蔵さんにお供えしていることを、私は不思議に、そして嬉しく思います。
七五三できちんと挨拶をしたあの頃の子どもたちが、実は幻となってこのあたりにいるように思えてきます。
息子たちは、幻の子どもたちを感じるのかもしれません。
こどもたちが、サッカーの試合で勝ちますように、とお願いしているのは、見てるよね、とおしゃべりしているのかもしれません。
祠を作り、きれいに掃除してくださっている誰かのおかげです。
その人が、私の子どもたちと幻の子どもたちを繋いでくれているのですから。
ただし、きっと幻の子どもたちもやんちゃな奴だろうと私は推測しています。
次男たちと仲がいいとしたら、お利口なタイプではないでしょう。
今日も私たち母親は、謝りにいかなくてはなりません。
自転車置き場の自転車、すべてのタイヤの空気入れのふたを彼らが外していたのです。
ポケットからこぼれおちたふたで、気付いたお母さんがいたのでした。
足りないふたを補充しに、自転車屋に行き、その足で、お詫びの品を買って帰るのを忘れないようにしなくては。

私は自転車に乗りました。
ハンドルに手をかけ、もう一度ふりむいてお地蔵さんを見ました。
お地蔵さんなら、お詫びの品がなにがよいか教えてくれそうな、そんな気がしたからです。